明大前の女の子

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 本を手にしている人をみかけると、何を読んでいるのか気になってしまう。いったいいつからその癖が始まったんだろう。また、いつになれば終わるんだろう。そのときぼくが考えていたのは、だいたいそんなことだった。
 
 朝六時十三分の駅のホームには、オレンジ色の太陽の光がひっそりと差し込んでいた。ぼんやりと渋谷行きの電車を待っていると、ふと斜め前にいる少女に目がいった。その子は紺色の制服を着て、レンズの厚い黒ぶちめがねをかけていた。背丈は大人の胸元あたりまでしかなく、おそらく小学校の中学年か、もしくは高学年ぐらいだった。フェルト生地の帽子は、まるで生まれたときからそこにあるかのようで、帽子からぶら下がっているようにも見えるきれいな三つ編みには、一定の品格が保たれていた。
 彼女は分厚い本を、枝のように細い両腕で支えるように持っていたが、特に苦にしているようには見えなかった。ぶらりぶらりと頭をゆらしているのは頭が重いのか足腰が弱いのか、それともただリズムをとっているだけなのかぼくにはわからなかったが、いくらか滑稽ともいえるその姿は、寒々とした駅のホームにとてもよく馴染んでいた。
 ぼくは何の気なしを装い少女のとなりに並んだ。もちろん本の背表紙を眺めるために。けれども髪の毛が伸びっぱなしで、目の下にはくまもあり、見た目だけでいえば変質者とも思われてもおかしくないぼくとしては、行動の選択に注意する必要があった。過ぎた行動をとればすぐに笛がなり、駅員が時速400キロのスピードで追いかけてくる。大丈夫。身分も立場もそれなりにわきまえている。ちょっと背表紙をしっけいするだけだ。そう考えながら視線を向かいのがらんとしたホームや、手元にあるディケンズの短編集に向けていた。
 しばらくして、ぼくはその少女の手を見た。その小さな手の、さらに小さく丸い彼女の親指はやさしくページをつかんでいて、それがぼくを喜ばせた。その姿は愛らしく可愛げで、さらにいえば親しみがあった。そういう姿を見るだけで、ぼくはほんとに満足してしまう。
 読むのに疲れたのか、彼女はふぅと小さな息を吐き、パタンと本を閉じた。そして当然のように視線をこちらに向けた。ぼくはその視線に気づいていないふりをするのに必死だった。もしかしたら視線の先はぼくではなく、延々と続く線路の先のだったのかもしれない。汽笛が鳴った。電車がきた。
 ぼくは読んでいた本から目を外した。いや、そもそも読んでなどいなかった。その光景の前ではディケンズの言葉などまやかしでしかなく、すべての文字は記号としてしか作用しなかった。気がつけばホームは人で満ちていた。彼らがそわそわと電車に乗り込む準備をするなかで、彼女は凛とした姿勢を保ちその場に立っていた。口元はきつく結ばれ、さっきまで見せていたふらふらとした動作もしていない。彼女の右腕に抱えられた本の背を見ると、なんとなく安心したような、少し残念であるような、そんな気分になった。ハリーポッターだった。なるほどね、そうだよね、とぼくは自分に言い聞かすようにひっそりと口ずさんだ。いったい何を期待していたのだろう。吉本ばななでも読んでいたら嬉しかったのだろうか。わからない、おそらく、ほんの少しは嬉しかった。ほんの少しは。
 そのときふと、彼女と友だちになれたらいいな、なんてことを考えた。一回り以上年下の女の子と本について話せたら、きっと楽しいだろうと、そう考えたのだ。彼女と、いや別に彼女とではなくてもいいのだけれど、「どんな本を読んでるの?」なんていう会話をしてみたいなと思っただけだ。ぼくの周りにはそういう会話をできる人がいない。いても、なんだかひどく疲れてしまう。大人になると本を読まなくなるのか、それとも、大人は本を読まないのか。そこらへんはよくわからない。
 
 きっと彼女はこんな質問をする。
 ねえ、なにかおすすめの本はある?
 ぼくは答える。
 そうだなあ、サガンとかいいと思うよ。
 サガン
 フランスの女性作家だよ。
 フランス!!
 
 サガンは、特別好きな作家というわけでもない。けれど、サガンを読んでいる女の子ってなんだか知的でいいじゃないか。もちろんファッションとして読んでいる人はまったく好ましくない。サガンドルチェ&ガッバーナじゃない。ぼくが思うのは、ああいった詩的な言葉の美しさにただただうっとりしている女の子というのは、すごく好感が持てるということ。彼女はきっとサガンを気に入る。
 ぼくと彼女はときどき暇が合えばコメダコーヒーに行き、あの意味不明なインテリアに囲まれながら、そんな会話を飽きもせず続ける。どの本が好きだとかそんなことを。長靴の形をしたかわいらしいグラスに入った、やけに大きいメロンソーダを彼女は頼み、ぼくはたいしておいしくもないコーヒーか、甘いミックスジュースを頼む。あずきトーストだって頼むだろう。三分に一回、あの気の利きすぎる店員が水を足しにくる。「マドモアゼル、お冷をどうぞ」あれはマニュアルなのだろうか。でもそんなのに構うことなくわれわれは話を続ける。彼女は気に入った箇所に赤ペンで線を引いていて、その部分をこっそりと恥ずかしそうに教えてくれる。もちろんぼくも気に入る。そしてそれをしっかりとノートにメモをする。話は音楽や映画にだって飛び火するだろう。彼女が望めば、学校のことにだって耳を傾けるつもりだ。算数のわからないところだって教えてあげるだろうし、逆上がりの練習にだって付き合う。でも、つまらない会話はしない。友達の悪口とか、ずっとずっと先の将来のこととか。彼女が何かに悩んでいるなら、ぼくは必死になって言葉を探す。それが何かの本に書いてあった言葉かどうかなんて気にしない。とにかく必死になって探すだけだ。あるいは本をプレゼントするかもしれない。彼女は薄暗い部屋のすみで、晴れ渡った屋上で、公園のベンチで、駅のホームで、ひっそりと悲しんだり、笑ったり、怒ったりする。ぼくがそうだったように、ぼくが好きな小説の中からヒントを見つけ出したときのように。
 
 電車の扉が閉まるぎりぎりに、彼女はゆっくりとした動作で背中から乗りこんだ。周りの大人たちに囲まれる彼女の姿は、やっぱりただの少女だった。背丈は周りの大人の半分ほどしかない。その電車を見送る意味も理由もなかったが、ぼくはそうした。見送らない理由があるのだろうか。時間に追われているわけでもなければ、どこに向かうのかさえわかっていないのだから。
 電車はゆっくりと動き出し、やがて見えなくなった。人がいなくなったホームにはまた人が集まりだし、空に一羽のカラスが現れた。凛々しい大きな羽根を落ち着かせ、まるでぼくを見ているようだった。やあ、とぼくは話しかけたね。きみは最近どんな本を読んだ? 黒いその鳥は、かあ、と鳴いただけだ。実にいい感じで、かあ、と鳴いたんだ。